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ライフマネジメントアドバイザー TEAM101のブログです。

古城跡にて徒然なるままに

久しぶりに、地元の古城跡、佐東銀山城跡に登った。

 

もういい加減いい歳なので、最近身体の健康のことをいろいろと考える機会が多い。いろいろなものを試してみたがあまり効果はない。それは間違いなく、私に提供してもらったサービスや購入したサービスが悪いのではなく、たぶん私が自分の生活習慣を心の底から変えていきたい、と思っていなかったからなのだろうと思う。

 

そういう中で、昨年の暮れから、ひょんなことからご縁をいただいた健康コンサルタントのK女史にコンサルティングをお願いすることとなり、その内容がトレーダーとして生きていくうえでも大事なことを数多くおっしゃるので、私のサロンにも講師として来ていただいている。

 

その彼女から、趣味と実益かねての運動ができればいいですよね!というお話があったので、以前からの趣味である古城跡巡りを伝えてみると、それめっちゃいいじゃないですか!行きましょう!私も同行します!というので、生徒さんも誘って登ってきたのだ。

 

歴史に興味のない人であれば、武田山登りなどただのハイキングのようなものだろう。だが、生粋の歴史マニアである私にとってはここは史跡なのだ。

いたるところにある防郭や堀切、傍目にはただの獣道や藪にしか見えない。だが、ここを甲冑着て槍や刀をもって攻め上ることを考えてみてください、と生徒さんにお話しすると、なるほどー!などと盛り上がっていただけた。

 

佐東銀山城は鎌倉時代にまでさかのぼる古城だ。どんな城なのかはあれこれ私がここで語るより、詳しく解説してくれているサイトがいくらでもあるので、興味のある方は城の名前で検索してみられるとよいだろう。安芸守護職であった武田氏の居城であり、毛利家が広島城を作るまで、広島の街を見下ろしていた中世のこの地域の経済の中心だったのだ。

 

大河川が折り重なって広島湾に流れていくこの地は、水運も盛んだったようだ。私が住んでいるこの町のいたるところに、古い市場や船着き場の名が記されている。古市、今津などといった名がそれだ。

 

水運を制するものは経済を制する。港のあるなしは、戦国の世の武将たちにとって、大事な要素だったようだ。ましてこの地は東西南北に抜ける街道の結節点でもあり、交通の要衝であった。

山頂から見渡せば、南の呉から来る船も、そして西の厳島から来る船も、広島の湾内で動く船もしっかり見渡せる。

そして真下には遠く出雲の国につながる街道が走る。

なぜこの地に城が築かれたのかよくわかる。

 

そんな話を生徒さんたちにしながら、頂上を目指して登っていく。慣れていない人ばかりだから休み休みだ。私も自衛隊時代には自信のあった体力も今は見る影もない。

 

しかし、苦労して登り切った後の、山頂からの風景は最高だった。

 

春の風が、ゆっくりと通り過ぎていく。

清々しい。

 

こういう体験も、自分の心と体のバランスを整えていくのに大いに効果があるな、と思った次第である。

定期的にいろんな城跡上りましょう、と生徒さんにも言っていただいた。それはそれでサロンのイベントとしても面白いかもしれない。

 

来月はまた違う城跡に登ろうと思う。