大正11年11月1日。
祖父の誕生日だ。
この日、世界で何があったのか調べてみた。
そんな、私たちが歴史の教科書で習うようなことが起こった年に、彼は生まれた。
彼は戦前の生まれの日本男児らしく、強権的で、融通が利かず、家庭内では横暴な男だったが、私たち孫にはとても優しかった。
彼は満州で従軍した経験があった。
輸送を任務とする部隊にいたというが、そのころの話を聞いても絶対に語ろうとしなかった。
写真を見せてくれたこともないが、母曰く、すごいイケメンだったよ、っと言っていた。
幼いころよく将棋の相手になってもらった。彼に私は将棋を習い、それから折をみて将棋を指している。相手はもう、ネットの向こう側にいる誰とも知れない相手に変わってしまったが。
100歳の齢を重ね、糖尿を患い、しまいにはコロナにもかかったにも関わらず彼は病院から施設に戻ってきた。
私は彼は不死身なんじゃないかなと思っていた。
昨日の朝、令和5年1月11日早朝、100歳の齢を経て天に召されていった。
棺の中の彼は、とても綺麗な顔をしていた。
80代、いや70代でも通じるんじゃないだろうか。葬儀社の人は100歳の老人だと知るや否や驚きの声を隠さなかった。
彼が天に召された翌朝、裏山の入口の神社まで散歩に行った。
差し込む朝日がまるで、数年前に亡くなった祖母が迎えに来ているようだった。
人は必ず死ぬ。
祖父の死に当たり、後悔のない生き方とはなんだろうか、とずっと考えている。